呪われた王子 1




 あれから、謁見の間で、王妃と王子へ挨拶が終わってほっとしていたところへ、今度は貴族や騎士たちから一人ずつ挨拶をされ、あまりの数の多さと自己紹介のスピードについていけず疲れてしまい、その後白で統一されている宮殿内の各部屋の場所を把握しようとあちこち回ってみたのだが、これもまた数の多さに――――
「とりあえず、この階段を上がって右の奥がクラウス王子の部屋っていうことさえ覚えておけばいいかな」
 とりあえずは、一番重要な部屋の場所さえわかっておけば大丈夫だろうと、腕組みをして階段の先を見上げていると、上がった先をちょうど左から右に横切ろうとしていた、若草色の隊服を着た青年が、こちらに気づいて立ち止まった。
「どうしました?何かお困りですか?」
 青年は、そう言いながら階段を下りてこようとした。アーシェはあわてて首を振って、
「いえ、大丈夫です。今から殿下の部屋にお伺いしようと思っていまして。場所もちゃんとわかっていますから」
 青年の足を止めるために階段を駆け足で上がる。それほど長い階段ではないが、まだ歩幅のつかめていない場所のせいか、アーシェの視線は自然に階段を追っていた。青年の履いている革靴が目に入ったところで顔を上げると、柔らかい笑みとともに左手が差し出されていた。大丈夫です、と再度言いかけて、ここはきっと右手を乗せたほうがいいのだろうと思いなおし、右手をそっと左手に乗せる。たったそれだけなのに、歩き始めたらなぜか自分の足で歩いているのではなく、優しく運ばれているような気がした。
「ありがとうございました」
 階段を上がりきったところで、アーシェが右手を離してからぺこりと頭を下げると、「そんな!」と、あわてて青年も頭を下げてきた。軽くウェーブのかかった短めの金髪がふわりと揺れる。
「私は、ウォーリア・エレンハイムと申します!どうぞよろしくお願いいたします。アーシェ殿」
『殿』をつけられて呼ばれたことがないアーシェは、少し困惑した後、
「こちらこそ。・・・殿は大げさです。普通にアーシェでお願いします」
 それに対し、ウォーリアも緑色の瞳に『困ります』という感情を浮かべた。
「では、アーシェ様で」
 アーシェは、ウォーリアと同じ色の瞳を宙にさ迷わせながら「うーん」と唸った。
「そうですよね。初対面の人に呼び捨てしてくださいっていうのも・・・じゃあ―――せめて、アーシェさんとかだったら」
 ぱっ、とウォーリアの表情が輝いた。まるで子どものような目の輝き方に、アーシェは目をぱちくりさせた。
「わかりました。アーシェさんと呼ばせていただきます!」
「なら・・・私も、ウォーリアさんと呼ばせていただきますね」
「はい!いろいろ大変ですが、一緒に頑張りましょうね!」
「はい」
 なぜか心底嬉しそうなウォーリアにつられるようにしてアーシェも笑っていた。
 急に、目の前の白いドアが内側に向かって開いた。
 そこに立っていたのは、白いローブを着たウィズ。謁見の間にいたときとは違い、フードは外していて、肩までの茶色の髪が見えている。
「遅いと思っていれば・・・何を楽しくおしゃべりしてるのかなぁ?」
 腕組みをしたウィズは、明らかに不機嫌そうだった。
「まあ、説教は後回しにするとして―――早く入れ。時間がない」


 青い絨毯の敷いてある部屋に入るなり、紙にペンを走らせる音がアーシェの耳元に届いた。
 ペンを走らせているのはクラウスで、大きな机の上に高く積まれた紙に一枚ずつ何かを書きこんでいる。ひたすらに黙々と書き続けているその姿は、一枚の絵のようだ。
「まだまだあるからな」
 クラウスの机にくっつけるように置かれている長机――この上にも大量の紙が積まれていた――の下に置いてある椅子を引っ張り出して座ったウィズは、ため息をつきながら言った。アーシェは、ウィズの手招きに従って大量の紙の一部を持ち上げると、クラウスの机の上に追加していく。紙には、飾り枠が印刷されていて、その中に書かれていたのは舞踏会についての日時と内容だった。一番下は右側に印が押されているが、真ん中は空白になっている。
 机の上の紙は全部同じものだったが、クラウスの手元に一旦置かれたものには、印の左側にサインが書きこまれていた。先ほどから書きこんでいたのはサインだったのだ。だが、サイン済みの左側の山はまだそれほど高くなっていない。
「言われなくてもわかっている」
 手首を動かす速さはそのままで、クラウスが返事をする。
「もっと急がないと夕暮れまでに片付かないぞ」
 ウィズがうんざりした顔で続けると、クラウスは微かに笑いながら言った。
「俺があと3人はいないと不可能だな。あと1週間はかかる。そうだ、魔法でどうにかしたらどうだ?こんな紙の山、あっという間に終わる」
 アーシェは二人の会話を聞きながら、クラウスの目の前にある書類の山の上に紙を数十枚置いた。
「そうだろう?アーシェ」
「はい?」
 謁見の間での反応からして、まさか名前を呼ばれる日がくると思っていなかったアーシェは、ペンを走らせる手を止めて顔を上げたクラウスを真正面から見た。背後の窓から降り注ぐ日差しにきらきらと輝く銀色の髪はもちろん綺麗だと思ったが、何よりも印象的なのは、サファイア色の瞳だった。鮮やかに、しかし深みもあるその色は、彼もまた特別な人間であることを物語っているように思えた。
「ええと・・・」
 どう答えるべきか、いやどう答えなければならないのかとアーシェが考えこんでいると、ウィズが口をはさんできた。
「おい。見習いとはいえ、アーシェも『宮廷魔術師』だからな。俺と同じ権限はあるんだぞ」
 それを受け、再び顔を伏せてペンを走らせ始めたクラウスが言う。
「そのことについてまだよくわかっておられないようだぞ?」
 ウィズが本日二回目のため息をついた。
「まだ教えてないんだよ。誰かさんが、さっさと仕事を片付けてくれてたら時間を取れたんだがな」
「ふーん。俺のせいか。それは済まないことをしたな。なら、特別に許可しよう。俺を待っている間に特別講義をしたらいい」
 謝罪の言葉を棒読みで言い終えた後、何やら笑顔になったクラウスはウィズにそう提案した。ウィズは腕組みして、しばし考える仕草をしてから、そばに立っているウォーリアの腕を掴んで引き寄せると耳打ちした。
 ウォーリアが目を瞬きさせながら頷き、にこにこと笑顔でアーシェの側にやってくるとウィズのほうを手で指示した。ウィズは宙に指で呪文を書き散らしながら、ちらりと一回だけこちらを見ると言った。
「アーシェ、こっちに来い。久々に講義だ。夕暮れまでに全部叩きこむからな。覚えろよ?」
「一体どのくらいあるんですか?」
 宙に書き留められていく呪文――その多くが時限付きや他の魔法発動関連時に連動するという制限が付け加えられていた――に近づいて読みとろうとするが、よく読めない。ウィズの字は昔からそうだ。
「飛ばせるものは飛ばすから、そうだなー・・・本で言うと大体100冊分くらいか。でも、俺の授業スタイルは」
「楽に、楽しく、早く」
「そうそう」
 ウィズが、一番最初に書いた呪文の端を指でトン、と叩く。それに反応して、制限付きの呪文以外の呪文が金色に輝いて空気に溶け込むようにして消え――――――――
 現れたのは古くて大きな本だった。しかし、その本には触ることができないようになっていた。どんなに精巧にできていても、ウィズの魔法によって映しだされた幻影だからだ。
 本は、アーシェの目線より少し上のところでゆっくりと回転した。
 革の表紙は、角が擦り切れている。表紙と背表紙に刻まれている金色の文字も所々剥げ落ちていて、しかも文字自体が小さいので、何の本なのかさっぱりわからない。
「これは、宮殿の地下の書庫にある、シェルサード王国史だ。―――じゃ、始めるぞ」
 ウィズの声を合図に、音を立てることなく表紙が開いた。





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