魔女、王宮へ 3




「あ、おはようございます。師匠」
「・・・おはよう」
 ふわあ、とあくびを噛み殺しながら挨拶を返してきたウィズに、アーシェはコーヒーをいれてやった。
「砂糖なしでよかったんですよね」
「おお、サンキュ。よく覚えてたなぁ」
 そう言いながら目の前の席に座ったウィズに、コーヒーの入ったカップを渡す。
「あんまり人にコーヒーをいれたりしませんので。――ここのご飯、おいしいですね」
 朝早くだというのに、食堂の長い白テーブルはほぼ満席だった。
 ほとんどが騎士や侍女で、宮廷魔術師の服を着ているのはアーシェとウィズの二人だけだ。
「そりゃあ、いい材料使ってるし、コックの腕もいい。食事はどこでとってもいいんだが、たいていはここで食べる」
「師匠は朝は苦手でしたよね」
 ウィズは苦笑いしながら頷いた。
「こればっかりはな。―――そうだ。アーシェ、ちょっと立ってみろよ」
「何でですか?」
「いいから。ほら」
 アーシェは首を傾げながら立ちあがった。
「ちょっと回れ」
「はあ?」
「回れって」
 アーシェは渋々くるりと回ってみせた。スカートの下のふわふわしたレースが足にまとわりつく。
「悪くないな―――お前さ、黒よりも白のほうが似合うんじゃないか?」
 ウィズの言葉に、アーシェは自分自身を見下ろした。膝丈までの裾の長さを除けば、所々レースが縫い付けられたこの服は白いドレスのようだった。
 レース状の襟元に結び付けられているのは、白いレースで縁取られた青いリボン。リボンは控えめに膨らんだ肩の部分にもつけられていた。胸の部分から腹部にかけては、縦方向に大小の白いレースがあしらわれ、開いた袖口からも白いレースがのぞいている。膝まではすとんとしたワンピースのような形で、貴族の令嬢のように腰をしめつけるコルセットというものはないが、多少なりとも腰回りがふんわりとして見えるのはスカート部分の中にもレースが縫い付けてあるからだった。この服とともにクローゼットに置いてあったのは三つ―――フード付きの白い上着と白いストッキング、エナメル素材で作られた白い靴で、さっき全て身に付けて部屋の鏡の前に立ってみたところ、さすがのアーシェも少しばかり違和感というものを覚えた。黒という色にこだわりはないが、ほぼ白一色の自分自身の姿が不思議なものに思えたのだ。
「・・・そうですか?」
 同じくほぼ白一色のウィズは、あっさりと頷いた。
「うん。悪くない。あ、座っていいぞ」
「はい。でも―――どうしてローブじゃないんでしょう?性別によって服が違うものなんですか?」
 椅子に座ってスカートの裾を持ち上げながら聞くと、ウィズは頬づえをつきながら、
「うーん、どうなんだろうな。宮廷魔術師は俺一人だったし。どういった服装のほうがいいかっていろいろと注文はしたけど、実際に用意したのは俺じゃないしな」
「ひょっとして、『ご主人様』が用意してくださったんですか?」
 ウィズは笑って迷いなく首を振った。
「あいつじゃないことは確かだ。おそらくはカレン王妃だろうな」
 カレン王妃の名前を聞いた途端、アーシェの脳裏についこの間見たパンフレットに載せられていた王妃の肖像画が浮かび上がった。
「パンフレットで見たんですけど、とても綺麗な方ですよね。カレン王妃って」
「だろ?国一番の美人だと思うよ。国民にも愛されてるし、他の国からの信頼も厚い。なのに――」
 唐突に、鐘の音が遠くから聞こえた。
「なのに?」
 ガタン、と大きな音を立てながらウィズが立ち上がる。
 強張った表情を浮かべながら、まだコーヒーの入っているカップを食堂のカウンターに置いた師匠に、弟子はとりあえず思い浮かんだ可能性について聞いてみた。
 食堂のテーブルに座っているのは、アーシェとウィズの二人だけ。ということは―――
「・・・私、初出勤の日に遅刻ですか?」
「・・・まだ一回目の鐘だから間に合うかもしれん。走れ」
 魔法学校時代、ウィズが授業に遅れてくることはよくあった。時間を守るのが苦手だったのだろうとアーシェは在学時から現在に至るまで勝手に推測していたのだが、どうやら当たっていたらしい。
「走れっ!」
「痛っ!師匠、痛いです!腕っ」
 乱暴に掴まれた腕は、白い円柱が立ち並ぶ回廊を抜けて謁見の間にたどり着くまで離されることはなく、アーシェがどんなに抗議しても無駄だった。



 謁見の間の白い扉の前で、二回目の鐘の音が鳴った。
「・・・開けて、くれ」
 あがっている息と服装を整えながら、ウィズが扉の前に立っている二人の騎士に言う。その間に、アーシェは上着を着てフードを被った。
「そちらの方はどなたですか?」
「今日付けで、殿下にお仕えする者だ」
「ああ、なるほど」
 騎士の一人が扉を開けた。早足で入っていくウィズの後に、アーシェも小走り気味についていく。
 足を踏み入れた部屋の中は―――とにかく広くて明るかった。天井も高く、シャンデリアがいくつも吊り下げられている。部屋の左右には多くの貴族や騎士や侍女が並んで立っていて、中央は通路のように空いていた。そしてその奥の壇上には、カレン王妃と―――銀髪に青い瞳の少年―――おそらく王子なのだろうが―――が椅子に座っていた。
 ウィズは王妃に向かって歩いていく。アーシェは、周囲からの視線を感じつつ、後ろをついていった。ウィズは、王妃のいる壇上より少し離れたところで立ち止まってアーシェのほうを振り返った。横に出るように右手で促され、ウィズの右隣りに立つ。
 ウィズの深い一礼にアーシェもあわてて一礼すると、ウィズが口を開いた。
「陛下、殿下、この者が今日からシェルサードとブランジェット王家に仕える者です。名前はアーシェ。私の弟子です」
「よ、よろしくお願いします」
 もう一度礼をしてから顔を上げると、微笑んでいる王妃と目が合った。頭の上でひとつにまとめられた金色の髪、優しさにあふれた緑色の瞳。深紅のドレスを優雅に着こなしたその女性(ひと)は、ウィズの言った通り、肖像画よりもずっと美人で特別な雰囲気を持っている。
「アーシェ、というのですね。美しい名前です。どうぞよろしく頼みますよ」
「は、はい」
「私はカレン。そして、こちらは王子のクラウスです」
 紺色の詰襟の服に灰色の長い上着を着た、銀色の髪に青い瞳の美しい少年は、興味がなさそうな様子でこちらを見た。
 王妃とは対照的なその表情を前に、アーシェは一礼した。
 再び顔を上げたときには、クラウスの視線はもうこちらには向けられていなかった。




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