協会の外へ出ると、夜の闇が深まっているのに加えて風が冷たくなっていた。アーシェはぶるり、と体を震わせながらショールを肩にかけ直した。寒いことに変わりはないが、まだ何もないよりマシである。協会のほうを見ると、明かりがちょうど消えるところだった。どうやら、営業時間ぎりぎりまで居座ってしまっていたらしい。
外の人ごみは、先ほどよりもさらに増えているように見えた。持ち手が切れかけているバッグを抱え直すと、人と人の間をぬうようにして『黒猫亭』へ向かう。
『黒猫亭』の前に着くと、黒い馬車が2台停まっていた。御者はいるものの、人ごみの中にぽつんと置かれた状態になっているそれは、違和感を感じさせた。
アーシェは、2頭の馬の前を横切ると白いドアを開けた。
「ホント、いつもすみませんねぇ」
肩くらいまでの茶色の髪を後ろで一つにまとめた青年は、琥珀色の瞳を細めるとマリアーナに微笑みかけた。青年は隣に座っているエイドたちとは違い、袖や肩の部分に銀糸で細やかな刺繍がされた白いローブを着ている。その肩にはエイドと同じ銀色のバッジが光っており、彼が魔法使いであることを示していた。
「いいえ。さあ、どうぞ。ウィズ様」
「ありがとうございます」
目の前に置かれたティーカップの中の紅茶を見て、青年――ウィズは嬉しそうに笑った。
「不良少年の迎えは嫌ですが、俺はあなたが入れてくださるお茶は大好きなんですよ」
「誰が、不良少年だ。もう立派な大人だぞ」
隣のエイドが、訂正しろと言わんばかりに不機嫌な声を上げる。ウィズは、紅茶に口を付けた後、横目でちらりと見てから言った。
「この国の中じゃな。でも、俺から見ればまだまだ子どもだ。ああ、安心しろ。ウォーリアも俺から見れば十分子どもだから」
「え?!あ、それはそうでしょうけど・・・」
ウォーリアが、年齢差に気づいて口ごもる。
ウィズは、エイドの前に置かれたティーカップの中を覗き込んだ。
「ほら、もう帰るんだからその前にお茶を飲めよ。マリアーナさんが折角いれてくれたお茶なんだろう?」
「お前が来るのが早すぎるんだ」
エイドは、ティーカップを持ち上げると一気に飲み干した。
「そりゃあ、殿下のご命令とあらば」
ウィズの言葉に、マリアーナとウォーリアがほぼ同時に周りを見回す。
「誰もいませんよ。ご安心を」
「・・・心臓に悪いわ」
「・・・確かに悪いです」
ウィズは二人の反応に苦笑すると、立ち上がった。ぐい、とエイドの腕を引く。
「じゃあ、お世話になりました。ひょっとしたらまたご迷惑をおかけするかもしれませんが、そのときはどうぞよろしくお願いします」
「はい、いつでもどうぞ」
マリアーナが、にこにこと笑う。
エイドは、ウィズの腕を振り払おうとしたがやめたらしい。歩くのもままならないほど、酔っていることに今更気づいたようだ。
「帰りは馬車だからきついかもしれないが、罰だと思って耐えろよ?」
返事はなかったが、ウィズは気にしなかった。
「ウォーリア」
フードをかぶりながら、エイドの後ろにくっついてきている青年に呼びかける。
「はい」
「2人用の馬車が2台しかなかったから、お前がエイドと乗れ。俺はもう1台のほうに乗って帰る」
「はい」
ウォーリアはマリアーナに頭を下げると、ウィズにかわってエイドの背中を支えるようにしながら、ドアに向かった。
そのとき、ドアが開いた。
アーシェは、『黒猫亭』のドアを開けた。暖かい明かりが灯る店内にいたのは、黒いローブ姿が2人と白いローブ姿が1人。そして、さっき出会った老婆。ローブ姿の3人は、どうやらここを出ようとしているらしい。アーシェは、『黒猫亭』の中に入るとドアを少しだけ開けた状態にしてドアから離れた。
「すみません。あのー」
奥にいる老婆に呼びかけながら、ローブ姿の三人の脇を通り抜ける。
「『魔女協会』から紹介されたんですけど」
「あら、・・・あなたはさっきの」
驚いた表情を浮かべていた老婆が、その顔に笑みを浮かべた。
「魔女さん、ね?」
「はい」
アーシェは、とんがり帽子を脱いだ。
「あの、お部屋まだ空いてます?」
「ええと、確か空いていたと思うのだけど。確かめてくるから、少しお時間いただけるかしら?」
「はい」
老婆は、ティーカップを3つトレーに乗せると、カウンターのほうへ消えていった。ローブ姿の3人も店の外に出ていく。
1人になったアーシェは、きょろきょろと『黒猫亭』の中を見回した。店の前を通ったときは開けられていた窓のカーテンが、今はもう閉じられていた。店内のテーブルの数は7つ。ドアを挟んで左右に3つずつと、奥の離れたところに1つ。
「―――ごめんなさいね。お待たせしてしまって」
「いいえ」
老婆は、戻ってくると頷いた。
「お部屋、まだ大丈夫だったわ」
「・・・よかった!」
アーシェは、息をついた。老婆が目を数回まばたきする。
「あ、もう夜も遅いし、ひょっとしたら空いてないかもしれないと思ってたところだったので」
「――ああ、みんな、たいてい大きな宿に行くものだから、うちのような小さい宿は最後まで空いていることのほうが多いの」
「そうなんですか?魔女協会の受付の人は、ご飯がおいしいって言ってましたけど」
「ミランダが?まあ」
老婆が、何かを思い出したかのようにくすくす笑った。そして、思い出したかのように、いけないと呟いて、
「お疲れなのに、いつまでもお部屋にご案内しないのは失礼ね。部屋は2階よ。案内するわ」
「ありがとうございます。ええと―――」
アーシェの見ている前で、『黒猫亭』のドアが開いた。入ってきたのは、さっき出て行った白いローブ姿で、こちらに近づいてくる。
「あら、何か忘れ物ですか?」
老婆が、奥のテーブルを見ながら尋ねる。
白いローブ姿は、アーシェの目の前で止まった。結構、背が高い。顔が見えない相手を見上げるような格好は、なんとなく居心地が悪い。
「あの」
「いや」
ローブ姿は、深くかぶっていたフードを脱ぎ、琥珀色の瞳を細めて、にやりと笑って見せた。
見覚えのある青年に、
「・・師匠?」
アーシェは一応疑問符をつけて尋ねた。
「なんで、語尾があがる?」
答えたほうも、しっかりと疑問符がついていた。
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