『シェルサード王国へようこそ。シェルサードは、自然との調和を目指した美しい国です。安全で優雅な時間をお約束します。どうぞシェルサードでの時間をゆっくりとお楽しみください』
 国境で入国手続きが終わった際に渡された二つ折りのパンフレットの中に、でかでかと書かれていた文章である。文章の横にはカレン王妃の肖像が載せられていた。口元に微笑みをたたえた王妃は、とても美しい人だった。しかし、肖像画は王妃だけで、呪われているという王子の分はない。
「でも、お母さんの王妃様がこれだけ美人なんだから、王子様も顔はよさそう」
 滞在中に拝見する可能性はないだろうから、想像するしかないのだが。
 アーシェは、魔女協会へ向かっていた。国境で渡された目印つきの地図とにらめっこしながら、魔女協会があるメインストリートを目指してひたすら歩く。石畳の道は疲れた足に優しいとはいえなかったが、泊まる宿も決まっていない以上、宿の斡旋もしてもらわなければならず、とにかく早く魔女協会に辿り着く必要があった。
「ええと――この角を右に曲がれば」
 メインストリートである。魔女協会はメインストリートの奥にあるらしく、地図の目印も通りの一番端のあたりについている。急ぎ足で角を曲がると、夕暮れ時にも関わらず、宿屋やレストラン、居酒屋が集まっている通りには人が溢れていた。その中にはもちろん、黒いとんがり帽子を被った魔女や黒いローブ姿の魔法使いたちの姿もあった。割合からみて、人間たちと半々といったところだろうか。彼らは、人間たちと笑顔で語り合い、酒を酌み交わしている。
「やっぱりここはシェルサードなんだ・・・」
 半ば呆然としていると、空気が微妙に変わった。危ない気配はしないものの、歩くスピードを少しだけ緩めて左右を見回す。柔らかな風が頬を撫でていったような感覚を覚えた瞬間、ふわりと魔法が空から降ってきた。人間の目には見えない星屑のように降ってきた魔法の向かった先は、メインストリートのあちこちに立つ街灯だった。
「綺麗ねぇ」
 音もなく一斉に灯った街灯に、隣から声が上がる。
「綺麗ですねぇ」
 同じ言葉で返すと、その誰かは「あらあら」と言って笑った。声が聞こえた方に視線を移すと、白髪をきっちりと後ろでまとめ、ほっそりした顔に小さな眼鏡をかけた老婆がいた。着ているものは暗い色の簡素な服だったが、どこか気品を感じさせた。
「ごめんなさいね。魔女さんだと気づかずにおしゃべりしてしまったの。許していただけるかしら?」
 柔らかい声に、アーシェは笑って頷いた。
「怒ってなんかいません。だって、本当に綺麗じゃないですか」
 老婆は微笑むと、街灯のあるほうを見上げた。
「毎日、同じ光景を見ているのに飽きないのよ。魔法ってやっぱり不思議よねぇ」
「へえ、毎日――」
 老婆の視線の先の街灯は、ランプの炎のように揺らぐことなく一定の明るさを保っている。
「ちなみに、夜が明けると明かりは消えるんですか?」
 アーシェの問いに、老婆は少し驚いた様子を見せてから頷いた。
「ええ。あなたひょっとしてこの国に来たのは初めて?」
「はい。さっき着いたばかりです」
「そうだったの」
 老婆は、丸まった猫の形をした看板をぶら下げてある家の前で立ち止まった。猫の体には、『黒猫亭』と書かれている。名前からすると食堂か居酒屋といったところである。水色の壁に真っ白なドア、ドアの左右に白い窓枠の小さな窓が一つずつのシンプルな外見の店だった。
 老婆はドアを開けると、アーシェを振り返り、再び微笑みを浮かべて言った。
「シェルサードへようこそ。可愛い魔女さん。うちは宿屋を兼ねた食堂なの。時間があったらぜひ来てちょうだいね」
 その言葉に、アーシェはにっこり笑って頷いた。



 ここまで人で混雑していない昼間だったらまだ遠くを見通せるのだろうか、と考えてしまうほどメインストリートは長かった。
 しかし、メインストリートの奥まで歩いて地図通りの場所に魔女協会があるのを見つけると、アーシェはほっとした。
 そして、魔女協会の隣の居酒屋を通り過ぎようとして―――店の中から出てきたローブ姿の誰かとぶつかった。
「ちょ――?!」
 すんでのところで転ばずにすんだものの、かなりの勢いでぶつかられたのか右肩が痛い。しかし、これだけの人数がいるのにも関わらず、周囲の誰ともぶつかることはなかった。というのも、一瞬にしてアーシェとローブ姿の二人の周りからは人の流れが遠ざかっていたからだった。ちらり、ちらりと視線は感じるものの、ただそれだけである。
 一方のローブ姿のほうはというと、フードをすっぽりと頭にかぶった状態で地面にほぼ突っ伏すような姿勢でしゃがみこんでいた。左肩のあたりには、銀色の星をかたどった大きな紋章のバッジが一つ光っている。魔法使いの証だ。そして、魔法使いの趣味なのか、銀の細い鎖がローブの上から首の周りに三連ほど、首飾りのように下がっていた。
「あのー・・・大丈夫ですか?」
 一応、こちらが被害者なのだが、しゃがみこんでいるほうが重症に見えるため、右肩をさすりながら状態を確認しようと側によったアーシェは、眉をしかめた。
(すごい酒の匂い)
 反応がないことに、どうしようかと思いつつもう一度声をかける。
「けがとかしてません?ねえ・・・」
 左肩を軽く叩くと、ローブ姿がのろのろと頭を上げた。シャラ、と銀の鎖が音を立てる。
 フードは被ったままなので、顔は口元から下しか見えない。
 ローブ姿は少しの間黙って、口を開いた。
「誰かと思ったら・・・魔女か」
 ぶつぶつと呟いた声を聞く限り、声の主は男だ。
「けがはないんですね?」
「・・・けが?何故だ?」
 不思議そうに聞き返してくる様子を見ると、けがの問題はなさそうだ。
「よかった。じゃあ私はこれで」
 変に絡まれないうちに、と背を向けたら。
「おーい」
 お決まりのように声がかかる。
 酔っ払った魔法使いというのは、酔った勢いでいきなり魔法を仕掛けてくるときもあるため、人間の酔っ払いよりも厄介な場合がある。
 そのため、アーシェが聞こえなかったフリをして歩き出したら、男は大声で言ってきた。
「バッグの持ち手が切れかけてるぞ」
「え?」
 バッグに視線を走らせる。男に指摘された通り、持ち手のところはちぎれかけていた。
「ありが――――」
 礼を言うために振り返ると、男はいつの間にか現れた別のローブ姿の誰かに肩を支えられるようにして、アーシェとは逆のほうへ歩いていくところだった。急いでいるのか、あっという間に人ごみの中に紛れてわからなくなる。必死に目で追うが、男と同じローブ姿の魔法使いが多いせいか後ろ姿では全くわからるはずもなく―――アーシェは探すのをあきらめると、魔女協会の古ぼけたドアをノックした。





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