呪われた王子 6




開けたときと同じように、静かにドアを閉める。
 部屋の主はまだ眠っているため、明かりはベッドサイドのテーブルのランプのみと最小限にしていた。ポットの口から、湯気とほのかなバラの香りが広がる。テーブルに置く直前で、もうひとつ別の匂い――甘い匂いが鼻腔をかすめた。
(ハチミツ入れたのか?あいつ)
 レシピには載っていないはずである。レシピを忠実に守る傾向のある、あの弟子にしては珍しいことといえた。
 匂いに反応したのか、ベッドで眠っている彼の主人が薄く瞼を開けた。
「起きたか?」
 答えの代わりのように、青い瞳がゆるりと動く。ぼんやりとしている視線がテーブルのポットに向けられた途端、それが何なのか理解したのだろう。目を完全に開けると眉をしかめた。
「・・・・いらない。捨てろ」
 主人が起きぬけそのものの掠れた声で命じてきたことを無視すると、彼はポットの中身をティーカップに注いだ。バラの香りがより強く広がる。
「お前、一回ぐらいは・・・!」
「言うことを聞けって?そのままじゃ、明日はまだ起きられないぞ。大事な会議があるんだろ?へろへろな状態で出るつもりか?さっきだって、王妃はお前を心配して――」
 腹を立てた主人がまくしたてようとしたのを遮り、長い時を生きてきた彼からみればまだまだ小さな子どもに過ぎない少年に、黙らざるを得ない材料を突き付ける。
 拗ねたようにそっぽを向いた様子は、この国では成人と認められている年齢に達しているとはいえ、やはり子どもだった。
「・・・クッション」
「はいはい」
 事あるごとに泣かせ続けているだけに、実はクラウスが母親のこととなると弱くなるのは知っていた。カレン本人の前ではいたって普通にしているが。
 起き上がるのを助けてやる。大きなクッションを背中に置くと、何も言わないうちにティーカップを差し出す。渋々といった様子だが、クラウスの手に納まったことを確認すると、ウィズは明かりをつけるため、顔を天井に向けた。一言呟くと、瞬時に部屋の中が明かりで満たされる。
「これ、嫌いなんだが」
「うん?」
 クラウスが呟いたことを聞き返して、思い出す。
 その告白を聞くのは初めてではない。
 10年前に初めて飲ませたときから、毎回のように聞かされている。
 視線を下に落とすと、クラウスはうつむいてカップをわずかに揺らしていた。さらに視線を下に落とすと、点いた明かりの下でカップの中の濁った茶色の液体がキラキラと輝いているのが見える。
「ああ、俺も嫌いだ。これを飲むくらいなら、別のを飲む」
 いつもなら、『つべこべ言わずにさっさと飲め』と返しているところだが、今日は別の返事を返していた。
 色を見るだけで口の中が苦さでいっぱいになる。魔法使いや魔女で、これを飲んだことがないものは皆無に違いない。
「はぁ?!」
 クラウスが勢いよく顔を上げた。
 銀色の髪が跳ね、青い瞳が丸くなる。ウィズは首を傾げた。
「そんなに驚くことじゃないだろ?誰だって好き嫌いは」
「違う!そこじゃない!別のがあるのか?!」
「言ってなかったか?でも、普通さ、魔法使いが作れる薬がこれしかないってありえないだろ?」
 肩をすくめて返してやると、
「そういうことは最初に言え!今すぐ」
 それを持ってこい、と言いかけたクラウスを、ウィズはまたも遮った。
「即効性というか効きめが早いのは、今持ってるやつな。回復系ってのは難しい部類に入る―――ってのは、説明してなかったか?」
「・・・されてないな」
 がっくりと肩を落としたクラウスに、にやりと笑いかける。
「たぶん、説明をはぶいたんだろ。そんなに気にすることじゃない。薬の効果には全く影響はないからな」
 カップを仕方なさそうに、本当に仕方なさそうに口元へ運ぶ少年に、さらに続けて言う。
「いつも言ってることだが、全部飲まないと効き目はないからな?」



 クラウスは、カップを口元に近付けて動きを止めた。
(・・・?)
 10年前に初めて飲まされて以来、手元のカップの中の薬がどれほど苦くて不味いものなのか、ウィズを除いて城の中で一番熟知していた。
「どうかしたか?」
 椅子に座って足を組もうとしていたウィズが、カップをのぞきこんでくる。
「甘い匂いがする」
 砂糖ではなく、ハチミツの甘さだった。
「ああ、アーシェが入れた」
 ウィズが椅子に座り直すのを見ながら、クラウスは聞き返した。
「アーシェが?」
 金色の髪と緑色の瞳の少女の姿が脳裏をよぎった。
「今日はあいつに作らせたんだ。いいよなぁ、優秀なのがいると。仕事がはかどるし」
「へえ」
「甘いんだったら全部飲めるだろ。飲めよ?」
「念押ししなくても飲むって・・・いつもこういう風に作ってくれたら何も文句は言わないんだが?」
「それじゃあ、お前は反省しないだろ」
「・・・何だよ、それ」
 わざと苦い薬を与えるなど、罰のつもりなのだろうか。くだらない、と吐き捨てるつもりで口を開けようとしたら、首やら肩やら揉んでいたウィズから笑みが消えた。
「自分を試すな、って何度言ったらわかる?」
 こちらを見る琥珀の瞳が、真剣な光を帯びていた。普段、この魔法使いは滅多にこんな表情をしない。いつもどこかふざけていて主人を主人とも思っていない。だから、こんな表情をするときは厄介だった。
 またか、とこっそりと息をつく。倒れる度に言われてきたことだった。ここ1年では特に何度も言われている。
「限界ってものはある。超えた先は、死しかない。魔法を使うものはみんなそれを避ける。だがお前は――――」
 クラウスは、黙って琥珀色の瞳を見返した。
 魔法使いは黙りこんだ。しばしの沈黙のあと、魔法使いが口から出したのはため息だった。それから、部屋を出ていくまで魔法使いは一言もしゃべらなかった。
 ぱたん、と軽い音とともにドアが閉まる。
 その直後に、部屋の中に静寂が満ちた。
 暖炉も、今は静かに薪を燃やしている。
 王族の部屋があるエリアには王族以外の部屋はないため、現在の住人といえばカレンとクラウス2人だけだった。カレンの部屋も空き部屋をはさんだ奥にある。
 窓の外を見れば、闇が降りてきていた。眠っている間に、遅い時間になっていたらしい。
「お前は死ぬつもりか、母親を泣かせるつもりか」
 何の音もしなくなった中で、魔法使いが言わんとしていたことを無表情で呟く。
 体がまだ、重い。
 簡単な魔法陣を重ね、姿を消すだけ―――たったそれっぽちの魔法を使うだけで、自らに返ってくる反動は倍以上だ。倒れてしまえば、翌日に響かないよう、回復薬エリクシアを飲まなければならない。
 魔法使いとして生まれていれば、こんな状態には陥っていないのかもしれなかったが、彼は人間だった。いくら魔力を持っていても。
 しかし―――――
 じわり、と普段は自身の心の奥底に潜ませているものが浮かび上がってくる。
 自身の内に抱えているものの中で、何よりも暗い。何よりも強い。
 口元を歪め、心の中だけでひっそりと零す。
 ――――――――そのほうがいい。
 左肩に視線をやる。服の下に隠されているその場所には、棘のついた植物が黒く浮かび上がっているはずだ。
 幼いころからそこにあった、『それ』
 1日として、見ない日はない。
 最初の頃、洗えば落ちるのではないかと肌が赤くなるまでこすったが、無駄だった。
 恐れを知らなかったから、できたのだろう。
 やがて、年々、黒い影のようにはっきりとくっきりと、刻みこまれるかのように浮かび上がってくるそれが何と言うものなのか、彼は誰にも教わることなく知った。











 この世界には存在しないはずの植物で、『茨』という名があることを。
 

 
 そしてもうひとつ―――――――――






 いつか、『それ』に飲みこまれるだろうということも。

 その、いつかが、それほど遠くない未来であることも。









(――――あんな目で見られれば、何にも言えなくなる)
 青い瞳があんなにも冷ややかになったのを見たのは、久しぶりだった。氷のような、といっても過言ではない。
 感情が消えるのは珍しくもなんともなかった。それもまた、主人の持つ一面だからだ。
(でもあれは、たぶん、あの年頃がする目じゃない・・・)


 あの瞬間、ウィズは拒絶されていた。



 ウィズは自室に戻るべく、薄暗い廊下を歩いていた。
 この時間、両脇にずらりと並んだドアの向こうでは、貴族や騎士たちがすでに眠っているはずだ。足音には自然に気を使うことになる。
 今日は疲れきっていたので、その点では問題なかった。元気に歩く力など残っていないのだから。
 教育係など、言い方を変えれば「子守係」だ。「尻拭い係」といってもいいのかもしれない。
 体は、眠りを要求していた。現にさっきからあくびが止まらない。
 側のドアを通り過ぎようとしたとき、いきなり開いた。口が開いた状態で、部屋の住人と目が合う。簡素なドレスを着た女だった。女は、目を大きく開けると、さっと扇子で口元を覆った。なぜか責めるような目で見てくるのに対し、無理矢理愛想笑いを浮かべる。
「し、失礼」
 きっ、と明らかに睨み返してきたあと、女は再びドアの向こうへ消えていった。乱暴なドアの閉め方に、あれが貴族のご令嬢というものだろうかと疑問がわく。
(今のは、どっちも悪くないと思うんだが・・・強いていえば不幸な事故だろ?)
 10年の間で学んだことだが、王宮は職場として働くには、非常に面倒な場所だった。
 誰かが目立つのを好まない。本人の意思に関係なく、目立てば誰かが叩こうとする。根も葉もない噂が年がら年中流れ、貴族たちは扇子の下で、それ以外の者は隠れて笑っている。悪意と無遠慮な好奇心と、どこまでも根深い嫉妬が、白というある意味清らかさを表す色に統一された王宮内で渦巻いているのは、滑稽としかいえなかった。
 ウィズが、傍観者として見ていられるのは、与えられている地位が『宮廷魔術師』だからに他ならない。王族に最も近い存在でありながら、政治には無介入であり、何の決定権も持っていないという貴族たちにとってはどうでもいいような立ち位置。これまでに、程度はどうであれ嫌がらせがなかったわけではないが、それなりに手加減した報復をしていたら自然となくなっていったので、現在となってはまあまあ平和な日常を過ごせてはいた。
 それでも、時々妙なところで突っかかってくる者もいないわけではないが――――
 そういう面倒くさい輩とは、できるだけ関わらないに限る。
 角を曲がったところで目の前に現れた、レインハルトのような人間に対しては。
「おー、お疲れさん」
 ここから先は単なる通路になっているので、声を出しても問題はない。
「これはこれは」
 レインハルトは、いつも通りにこやかに返してきた。
 王宮中の女たちを虜にするその表情を見返しながら、格好を見れば考えずとも勝手に出てくる言葉を口に出す。
「遅くまで仕事か?」
「ああ、でももう終わったところだよ。君は?」
「同じだ」
 互いが近づいても、歩く速度は変わらない。立ち止まって話す気がないのは、双方同じらしい。たいていすれ違うだけで終わる。今日もそうなるだろうと、ウィズは思っていた。
 だが、今日のレインハルトはすれ違った瞬間に足を止めた。
 たったそれだけのことに、ざわつくものを感じる。
「殿下の具合は?」
 わざと潜められた声に、ウィズの足も止まった。レインハルトより一歩行き過ぎたところで。
 クラウスの状況は、この男を含めてごく一部の者たちしか知らない。
 もちろん、隠す必要はないのでそのまま答える。どこか、ほっとしている自分がいることを自覚しながら。
「もう、大丈夫だ」
「それはよかった」
 明らかにほっとした様子で、レインハルトが言った。
 そのまま、また歩いていくだろうと思ったが―――――
「そういえば」
 思い出したかのように声を上げる。
「さっき、可愛らしい『宮廷魔術師』殿と庭園を歩いたよ。残念ながら、ジェイドも一緒だったけれどね」
 投げかけてきた新たな話題に嫌な予感を感じながらも、彼は仕方なしに聞き返した。
「アーシェと?」
 恐れているのではなく、面倒なのだ――――身構えようとしている自分にそう言い聞かせる。
「幽霊の存在を信じているそうだよ」
「そりゃあ・・・いるからな」
 くくっ、とそこで初めて、レインハルトが前を向いたまま笑い声を上げた。この男が、彼の前で声を立てるほど笑うのは珍しいことだった。
(なんだ・・・?)
 笑っていたレインハルトが振り返って、今度は吹き出した。
「君の、顔っ」
「はぁ?」
 意味がわからず聞き返すが、レインハルトは首を振るだけだ。
「ああ、失礼」
 笑いをおさめると、挨拶のつもりなのか手を挙げた。
「また、明日」
「・・・ああ」
 ウィズは、レインハルトが廊下を曲がっていくのを半ば茫然と見つめた。

 
 


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