呪われた王子 5




 青年騎士は、誰かと言い争っているようだった。背後に近づくにつれて、会話がはっきり聞こえてくる。
「だから、今はだめなんです!」
「だめだめだめってぇ〜ちょっとばらをみたいだけらっていってるらろう」
「―――痛っ!ちょっと!押さないでくださいって!ああもうっ、力だけは強いんだから!何で、酒なんか飲んできてるんですか!この酔っ払いが!」
 二人とも、こちらが近づいていることにはまったく気づいていない。
 アーシェは、知っているほうの名前を呼んだ。
「ウォーリアさん」
 背中を向けていたほうが、弾かれたように振り返った。マントが、さっと翻る。
「アーシェさん?!」
 ウォーリアはぎょっ、としたような表情を浮かべた。
「すみません!うるさかったですよね。本当にすみません!急にこの人が来てしまって。でも、すぐに追い出しますから」
「いえ、違うんです。ちょうど―――」
 終わったところなんです、とそこまで言い切らないところで、ウォーリアの左腕から頭が生えた。正確には、長い髪の男が顔をのぞかせた。
 アーシェが、男の唐突な登場の仕方に悲鳴を上げないで済んだのは、持っていたバラの棘に思わず触れてしまい、痛みに唇を噛みしめたからだ。
「おいだすぅ?なぁんで、おれがおいだされなきゃいけないのら?」
 不満そうに言いながら、切れ長の瞳がこちらに向く。かなり酔っているということは、呂律が回っていないことですでにわかったが、目の焦点も合っていない。
 顔に見覚えはあった。朝、謁見の間で会った中のひとりだ。
(名前は・・・何だったけ?)
 思い出そうとして男の顔をじーっと見つめていると、同じように見つめられる。たちまちのうちに男の顔が緩んだ。そして、
「おおぅ、これはこれはぁ、きゅーていまじゅつしどのでは」
 と言いつつ、壁のように立ち塞がっているウォーリアの横をするりと通り抜ける。
「なんで勝手に入るんですか!」
 呆気にとられた顔で、あわててウォーリアが止めようとするが、それもするりとかわす。
「いい加減にしてくださいよ!ダメですって!―――うわっ」
 なおも手を伸ばそうとしたウォーリアがよろけて転ぶのを無視し、ふらふら歩きながら近づいてきた男は、いきなり顔を近づけてきた。
(なん、なの?!)
 覚えていてくれたことには、感謝すべきなのかもしれないが―――近すぎる距離と、酒の匂いに、アーシェは思わず後ずさった。じいい、と穴が開きそうな勢いで、男はこちらを見ている。それが、何を見ているのかわからず、アーシェはそこに立ちつくすしかなかった。酔っ払いの考えていることなど、たいてい―――
「いい、においがするなぁ」
 そう、どうでもいいことしかない。
 その、どうでもいいことを言った男は、顔いっぱいに笑みを浮かべている。不思議なことに、子どもが笑っているようで、いやらしさというものは全く感じられない。
 アーシェは体から力を抜くと、もう2歩ほど後ろに下がってから―――これで少しは匂いがマシになった―――バラを見せた。
「ばら?」
「はい」
 首を傾げられ、頷き返していると、いつの間に追いついたのか、横からウォーリアが男の首根っこを掴んだ。
「はい、帰りますよ〜!上官にはしっかり報告しますからね〜。酔っ払ってましたなんて言い訳、通るなんて思わないでくださいね〜」
 ウォーリアはにこにこと笑いながら言ったが、掴んでいる場所やその掴み方といい、言っていることといい、アーシェには怒っているように聞こえた。
 ふいに、男が頭を下げたかと思ったら、座り込みそうになった。「あーあ」と肩をすくめながら、ウォーリアが男の左腕を彼自身の首に回す。
「本当、すみませんね。酒さえ飲まなきゃいい人っているでしょう?」
 ちらり、と考える。旅先で出会った魔女や魔法使いたちの中にも酒癖が悪いものたちがいたことを思い出し、頷く。
「彼も、そういう人なんですよ」
 さっきと違い、肩を支えられるようにしてようやく立っている男の顔は髪に隠れて見えなかった。眠ってしまったのか、起きているのかもわからない。
「手伝いましょうか?」
 ためらいながらも口にした申し出に、ウォーリアが苦笑した。
「いえ、重いですから。それに、寝かせませんよ。楽はさせません」



 とは言ったものの。
「あー、もうまた寝ようとする。まったく、戻るだけだからよかったものの」
 何度目になるか、うんざりした調子でウォーリアが呻いた。
 肩を貸している男の顔を、慣れた様子でペシペシとはたく。男も、呻きながら目を開けるが長続きしない。すでに、半分引きずられながら歩いているといった調子だ。
 それに対して、同じくらいの体格の人間を半ば背負うようにして歩いているというのに、ウォーリアの足取りはしっかりしていた。手伝いはいらない、と言ったのは遠慮でも何でもなかったらしい。
 アーシェは、ウォーリアの横を歩きながら、王宮の入口がある方角を見た。見回りの時間なのか、兵士が次々に出てくる。兵士たちは、こちらに向かっているようだった。
「あれ?」
 もういい加減にしてくださいよ、と横に呟いていたウォーリアが、それを見て不思議そうに首を傾げた。
「数が多すぎる―――何かあったかな」
 見ていると、兵士たちは何人かに分かれて庭園の中に入ってきた。もしかしたら気づいていないのかもしれないが、こちらには目もくれない様子を見て、何かあわてているというのはアーシェにもわかった。
 そうしていると、兵士たちの後から騎士が1人やってきた。騎士は、一目散に走って行った兵士たちとは違い、庭園の入口で立ち止まった。
 ウォーリアには、それが誰なのかすぐにわかったらしい。
「レインハルト様!」
 明らかに驚きを含んだ声に、騎士が反応する。1度、庭園を眺めまわした後、『レインハルト様』と呼ばれた騎士は早足でこちらに近づいてきた。
「何が―――」
 問いかけようとしたウォーリアが、レインハルトがした仕草――右手の指で庭園を指し示して口元に人差し指を一度あてた――を見て、はっとしたように口を閉じた。
「もしかして、『幽霊』ですか?」
 小さくても声が届く距離にお互いが近づいてから、ウォーリアが恐る恐るといった様子で聞いた。
「さっき、見回りの兵士が見かけたといってね。どうせまた何かの見間違いなんだろうけど」
 ハハハ、とレインハルトは柔らかい声で笑った。
 見た目でいえば、ウィズよりもまだもう少しだけ年上である。アーシェと同じくらい長い髪は、ウィズと同じように後ろでひとつにまとめられている。その瞳の色は、朝の記憶が正しければ髪と同じ黒い色のはずだ。
「それは―――」
 レインハルトが、目を見開く。
「ああ、ジェイドです」
 ウォーリアが言った、ジェイドという名前を聞いて、アーシェは朝のことをようやく思い出した。
『ジェイドです。どうぞ、よろしくお願いします』
 笑顔とともに細められた目は、灰色。同じ色の髪は、あの場にいたどの男の人よりも長かった。
(大人しそうな人に見えたけど・・・)
 アーシェには、酔いつぶれた男と朝の騎士が同一人物とは思えなかった。
「この間、注意をしたばかりなんだが・・・・まったくしょうがないね」
 レインハルトが、苦笑しながら言った。
「エレンハイム、すまなかった。あとはこちらで」
 レインハルトが手を差し出したと同時に、ざっ、と近くの生垣が音をたてた。レインハルトとウォーリアが一斉に音のした場所を見た。次の瞬間には、レインハルトはすでに剣を引き抜いている。ウォーリアはジェイドを背負っているせいか、剣の柄を握ってはいるものの、そのままの格好で生垣を見ていた。どちらの視線も鋭い。
 アーシェも、生垣を見つめた。
 二人は黙ったまま動かない。
 この向こうにいるのは誰か。もしくは、何か。
 人であれば―――いや、人であっても。
(・・・ここに、私じゃなくて師匠がいればよかった)
 もし、このまま何かしないといけない状況になっても、ウィズならすぐに手を打つだろう。きっと。
 魔法学校の、最終学年時に実戦における訓練がなかったわけではないのに―――同級生相手に嫌というほどやった。
(簡単な魔法ものならきっと―――大丈夫)
「―――っ!」
 指から、突き抜けるような痛みが全身に走った。見ると、棘が刺さっている。
(緊張してる・・・私)
 手が震えるのは、痛みのためなのか緊張のためなのか。
 また、ざっと生垣が音を立てた。加えて、兵士たちの声が混じる。一人や二人ではなく、あちこちから悲鳴のような声も聞こえてきた。
「まずいな。混乱している」
 厳しい目はそのままに、レインハルトはウォーリアを見た。ウォーリアは頷くと、
「俺が行きます」
「ああ、頼むよ」
 レインハルトは、ジェイドを受け取ると腕を自身の肩に回した。
 それからのウォーリアは素早かった。剣を引き抜いたのが見えたと思ったら、何かを言う間もなく、あっという間に生垣の向こうへ姿を消した。それと同時に、レインハルトが言った。
「―――さて、戻りましょうか。彼に任せておけば大丈夫ですよ」
 こちらの返事を待つことなく歩き出した彼の後ろを追うように、アーシェも歩きはじめる。
 兵士たちの声は相変わらず聞こえてくる。一体、生垣の向こう側で何が起こっているというのだろう。
 ちらりと生垣を見た動作に気づいたのか、レインハルトが前を見たままハハと笑った。
「エレンハイムが心配?」
 さっきとは違い、どこか砕けた口調だった。
「それもですけど・・・何が起きているのか気になって」
「あなたは、幽霊を信じる?」
「信じる・・・というよりは、いますから」
「ということは、見たことがあるとか?」
「はい」
「そうなんだ。私は、残念ながら見たことがなくてね。だから、この騒ぎも誰かの悪戯だと思っている」
「その可能性は、あると思います。すべてが幽霊のせいじゃないですし」
 ずっと昔、ウィズと行ったことがある、幽霊屋敷や幽霊が出ると恐れられている場所の多くは、ただ単に見た目が不気味だったり、住む人がいなくなったために荒れ果てていたり、噂がひとり歩きして大きくなっていたりしただけだった。
「ただ」
 レインハルトが、顔をこちらに向けた。
「得体のしれないものに変わりはない」
 彼の顔からは、穏やかさが完全に消えていた。綺麗な顔に浮かんでいたのは、冷やかさと敵意。それがアーシェに向かって真っ直ぐに向けられていた。
 心臓がどきりと大きな音を立てた。
 なぜ、と疑問が膨らむ。彼とは今日が初対面のはずだ。敵意を向けられる理由がわからなかった。
「・・・そう、ですね」
 理解できないまま、ようやくそれだけを口に出す。
「今はまだいい。しかし、もしも害を及ぼすものなら――――」
 レインハルトはそこまで言うと、瞳を細め、口の両端を吊りあげた。
「私は、絶対に排除する」



 小さめの音でドアを叩く。
 すると、わずかに開いた隙間から、すぐにウィズが顔をのぞかせた。
「できました」
 アーシェは、小さな声で言うと、回復薬エリクシアの入った白いポットを差し出した。ウィズの指が触れる前に、「熱いですよ」とつけ加える。
「遅かったな」
「すみません。ちょっといろいろあって・・・王子は大丈夫ですか?」
「うん、まあ。寝てるけどな。気になるなら見ていくか?」
 アーシェは首を横に振った。
「起こしたらいけませんから、いいです」
「そうか。じゃあお疲れ。お前、顔色悪いぞ。しっかり休めよ」
 静かにドアが閉まった後、アーシェは壁に背中を預けてから手で顔を覆った。指先から塗り薬の匂いが漂う。
 優しい香りに、ため息がこぼれた。



 

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