呪われた王子 4
窓の外では、雪が降り続けていた。
時折、風が獣のような唸り声をあげて窓を揺らす。それは、ほんのわずかな音だったが、部屋のベッドの主にとっては恐ろしいものでしかなかった。
きっと、真っ暗な外には大きな怪物がいるのだ。見つかったらあっという間に食べられてしまうのだ。今は、まだ見つかっていないだけなのだ。
ベッドの中で、できるだけ小さく、小さく縮こまるようにする。じっ、としていればいい。ぎゅう、と目も耳もふさいで、息もしないで、朝になるのを待てばいい。動かなければ見つからない。きっと。
けれど、息をそんなに長く止めておけるはずもなかった。
「――――っはぁ、はぁ、はぁ」
止めていた分、小さな体はより多くの酸素を内に取り込もうとする。
(みつかっちゃう!)
ドン、と窓を誰かがノックした。
「―――――っ!!」
怪物のノックだ。
(たべられる!)
目を見開き、ベッドから転がるように飛び出して、ドアを開ける。
「殿下!なりません―――――」
背後からの声にも立ち止まらない。
走った勢いのまま、向かい側の、右から3つ目の部屋のドアを乱暴に開けた。
「殿下、兄君は眠っていらっしゃるのです。ですから―――」
肩に添えられた手に力が加わる前に、暗い部屋の中から声が聞こえた。
「いいよ。おいで、クラウス」
それを受け、背後からため息が聞こえ、肩から手の感覚が消える。
奥にあるベッドに突進するように走っていき、もぐりこむ。暖かい中をかき分けるようにして顔を出すと、ぽん、と頭をなでられた。兄の手だった。彼のものとそんなに変わらないぐらいの大きさの手。
「こわいゆめでもみたの?」
問いかけに、彼は首を横に振った。思ったままのことを言う。
「かいぶつがそとに」
「ここならへいき?」
彼は、こくんと大きく頷いた。
「じゃあ、ねようね」
もうひとつ頷いて、目を閉じる。
「おやすみ。クラウス」
「おやすみなさい」
横からかけられた声に返事をしていると、あっという間に眠くなってくる。
怪物はここまでは入ってこれない。
そう、ここまでは。
夜の庭園は静まり返っていた。遠くから見ても、昼間とは全く違った雰囲気なのがわかる。あちこちにランプが灯されているからというだけではない。人がいる気配がまったくないのだ。
昼間、お茶会にいそしんでいた貴族たちは、今は王宮の一室でパーティーを開いているのだという。それを知ったのは、庭園に出ようとある部屋の前を通ったときに、ドアを隔てているにも関わらず中から大勢の笑い声が聞こえてきたことからだった。すぐに隣の青年騎士に聞くと、彼はドアを見やって完全に通り過ぎてから苦笑混じりの声で言った。
『まあ、あの方々はそれが仕事のようなものですからね。――――ああ、やっぱり寒いですねぇ。君たち、ご苦労さま』
『はっ』
彼が声をかけたのは、王宮の入口に立っている2人の兵士だった。びしり、と音がしそうな勢いで背をぴんと伸ばすとこちらに頭を下げてくる。
『お疲れさま・・・です』
それ以外の何も言いようがなく、とっさに口から出たのはありきたりな言葉だった。
今の自分はそういう立場なのだろうが、人から頭を下げられるのはどうも慣れない。
『庭園に行くんだけど、何も異常はない?』
青年の問いかけに、入口の左側に立っていた兵士が顔を上げた。
『現在のところ、何も報告は受けておりません』
続けて、右側の兵士が顔を上げる。
『交代してもう数時間になりますが、特に怪しい人影も見かけておりません』
ふーん、と青年は左手で顎を掴む仕草をした後、首を傾げた。
『もう一週間になるからねぇ。やっぱり噂は噂なのかもしれないしね。だとしたら、その方がいいだろうし。じゃあ、引き続き見張りを頼むよ。もし、何かあったら知らせて』
『わかりました』
3人のやり取りを聞きながら、アーシェは黒いマントの中に引っ込めていた両手をこすり合わせた。寒いだろうと思って羽織ってきたこれは、部屋のクローゼットの中に掛けられていた服たちの中のひとつだった。色が溢れている中に黒がぽつんとあるのは少し異様な感じを受けないでもなかったが、身につけてみるとどこか落ち着く。
『アーシェさん、行きましょうか』
急に呼びかけられて、アーシェはあわてて顔を青年のほうに向けた。
『あ、はい。ウォーリアさん』
まだ数度しか口に出したことのない
言葉を言うと、青年は彼女と同じ色の瞳を嬉しそうに細めた。
「宿舎の食堂で一番人気なのが、スープなんですよ。野菜をぐつぐつ煮込んだシンプルなものなんですけど、故郷を離れて暮らしている奴らにとっては、おふくろの味なんだそうで。わからないでもないです。家庭でもよく作られているものですから」
「へえ」
「話は変わりますけど、去年の今頃は、雪がまだひどかったんですよ。でも、雪合戦大会は例年通り行われましてね。雪玉って当てられたことあります?あれって結構痛いんですよね。痛いだけじゃなくて冷たいし。悪ふざけが過ぎる奴になると、服の中に入れてこようとするんですよ。あれは本当やめてほしくて」
「そうなんですか」
「ええ。楽しいですけど、あれはちょっと苦手でもあって。あ、そういえばもうすぐ春祭りがあるんだ。春祭りって、春の初めに咲いた花を―――――」
青年騎士は、話好きらしい。
アーシェはウォーリアと一緒に石畳の上を歩いていた。二人分の足音が庭園の中に途切れることなく響き渡る。同時に聞こえてきた、擦れ合う金属音は右隣を歩くウォーリアからだった。緋色のマントの下に鎧を着ているのだ。ほんのわずかな音だったが、こんな場所では目立って聞こえる。目立つのは、彼女自身の靴音も同じだったが。
ウォーリアのものと比べると軽やかといえば軽やかな音だったが、1日中歩きまわっていたからか、半ば引きずるような音も混ざりはじめていた。この時間になって痛みを感じるようになったということは、やはり緊張していたのかもしれない。特につま先の痛みがひどかった。魔法で治せればいいのだが、体の仕組みは複雑である。欠けた花瓶のように単純なものではなく、傷口があるからといって簡単にふさげばいいというものではない。誰だって勘で治したくはないものだ。
ウォーリアによると、赤いバラは奥のほうに咲いているとのことだった。
バラとは違う甘い香りに周囲を見ると、白い花をつけた生垣の間をいつの間にか歩いていた。
「バラって、薬の材料になるんですね」
思い出したかのように、聞かれると思っていなかったことを聞かれ、さっきまでと同じように『そうなんですか』『へえ』のどちらかを言いそうになって、アーシェは一旦口を閉じた。別に、ウォーリアの話が退屈だったわけではない。自分が打てる相槌といえば、数パターンしかないからだ。
「ええ。なります」
数秒の沈黙は、気にならなかったらしい。
「飾るか、香水ぐらいしか思いつかなかったので意外でした」
ウォーリアの声から感じ取れたのは、興味と関心そういうものだった。
「バラだけじゃなくて、たいていのものは薬の材料になります。バラだったら、一般的には回復系の薬のい材料の一部になりますし、―――あ、でもバラはそれ以外にもいろいろと使えますね」
「へえ、面白いですね〜」
「面白い、ですか?」
「ええ、面白いですよ。飾るだけだと思っていたものが、薬になるんでしょう?」
前を見ると、まだ生垣は続いている。
「バラ園ってまだ奥にあるんですか?」
「そうですね。もう少しだと思いますけど。すみません、遠いですよね」
何気なく聞いたつもりだったが、ハハ、と申し訳なさを含んだ笑い声に、アーシェは「違うんです」と、首を振った。
「話をする時間があるかな、って思って」
「話?」
「ええ。薬のこと、薬学っていうんですけど――――あ、薬学っていうのは、簡単にいえば薬を作る学問のことなんです。魔法学校の生徒は全員学ぶんですけど、たいてい嫌っていて。とにかく覚えないといけないことが多いし、材料は取りに行くだけで大変だし。古代人のペットの氷漬けとか、砂漠にしか生息していない生物のしっぽとか意味のわからないものも多かったんです。しかも、それだけ大変な思いをしても卒業後に役立つかというと微妙なところなんですよね。お医者さんという職業はちゃんとあるじゃないですか。病気やけがをしたら、みんな魔女のところじゃなくて、お医者さんのところに行くでしょう?」
そこまでしゃべってから、アーシェはあることに気付いてうつむいた。
「アーシェさん?」
話し始めた途端に、急にまた黙ったからだろう。気遣うような声で名を呼ばれた。
「・・・すみません。面白いって言われたの初めてで、つい」
もごもごとしか言えなかったが、ちゃんと隣には届いたらしかった。
「気にしていませんよ。ますます、面白そうだと思いました」
「そうですか?」
顔を上げると、ウォーリアが頷いた。口元には変わらない笑み。
つられるように笑みを浮かべると、ふわり、と風が吹いた。甘い香りを含んだ風がゆるりと頬をなでる。匂いだけは優しいのに、風はどこまでも冷たい。
「寒いですね」
思いついたというより、思い浮かんだことを口に出すと、再び吹いた風に髪を遊ばれるのが嫌なのか、ゆるいウェーブのかかった髪を右手で抑えながら、ウォーリアは空を見た。
「ええ、本当に。春が来るのが待ち遠しいですよ。・・・でもよかった。今日は雪が降ってきそうにない」
甘い香りの中に、違う花の匂いが混じりはじめる。
バラの匂いだった。
「ああ、もうすぐですね」
ウォーリアも気づいたらしい。
ふいに生垣が途切れた。
「こっちです」
右手で示された先には、バラ園が広がっていた。園、といっても小規模なものだ。中央にある円形の花壇に、バラが植えられているだけのシンプルな場所。ランプの数も少なかった。周囲は生垣に囲まれていて、入口は今アーシェたちが立っているところしかない。
「王妃様が自ら育てていらっしゃるバラなんです。昼間、時間のあるときに改めて案内しますよ。とても綺麗ですから。あ、アーシェさん待ってください。先に行かせてください」
入ろうとしていたところを止められる。振り返ると、ウォーリアが「すみませんね」彼女の横を通り抜けながら言った。
「最近、変な噂があって。庭園で妙なものを見たという噂なんですけど」
「妙なもの?」
道を譲って、一歩後ろをついていきながらアーシェは尋ねた。
「見た人たちによると、『幽霊』だっていうんですけどね。今のところ、見たというだけで被害があるわけではないので、一応見回りを強化しているんですけど」
それだけの会話をしている間に、あっという間に花壇まで着いてしまった。ランプに照らされているバラの色は赤。いま、一番必要としている色だ。
ウォーリアは、花壇から離れるとバラ園を取り囲んでいる生垣に近づいた。きょろきょろと見回している。と思ったら、すぐに引き返してきた。
「不審者はいないみたいです。『幽霊』も何かの見間違いだと思いますけどね」
最後は肩をすくめ、もうひとつ付け足すように言ってきた。
「入口にいます。終わったら呼んでください」
「はい」
ここからは、アーシェの仕事だった。
昼間、王子が部屋に入って行った後、入れ替わるようにして出てきたウィズに、
回復薬を作れと言われたのだ。ウィズの様子を見た限り、切羽詰まった感じではなかったが――――
(病気とか、大けがとかの後じゃない限り、滅多に使わないものだけど・・・使わないといけないほど悪いのかな)
確かに、王子は調子が悪そうではあったが。
(急げとは言われなかったよね?急がないといけないときは、あの師匠でもちゃんと言うし)
どちらにせよ、材料のひとつが厄介だった。バラはバラでも、夜のバラでなければ効果がない。しかも、その中で最も効果のあるバラを探さなければならない。そのためには、日が落ちるのを待たなければならなかった。
(お医者さんの出す薬が早いのに)
聞くのを忘れていた。どうして、そうしないのと。
(違う――――)
アーシェは、頭痛をこらえるかのように目を閉じて頭を振った。
(集中しなきゃ)
回復薬を作る方向に動いているのだから。ここで考えても仕方がない。
今は――――――――
目を閉じたまま、深呼吸をひとつ、する。
空気の冷たさ、バラの香り、どれも自身の中から追い出すように、それとは別のものを手繰り寄せる。
簡単なことだった。夜のバラに零れ落ちて宿った、純粋な魔力。その気配を探す。
(ある)
感じた手ごたえに、静かに瞼を開け、ゆっくりとバラの周りを歩く。手はバラのすぐ上にかざして。
吹く風とは別に、手の下からゆるやかに立ち上ってくるものがあった。
空気ではない。探しているもの。純粋な魔力。
魔力が宿ったバラはひとつだけではなかったが、強弱の差がついてしまっている。これもダメ、あれもダメと、動かしていた手が、ある一点でビクリと震えた。
「見つけた」
手を伸ばすと、一本のバラが土からするりと抜けた。棘で指を傷つけないよう、気をつけながら手に取る。
大きな花弁をつけたバラだった。宿した魔力はもちろんだが、花自体の質も申し分ない。
「――――めですって!」
ほっ、と息をつきかけていたアーシェは、耳に飛び込むようにして聞こえてきた声に、さっとバラ園の入口を見た。
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